新型コロナウイルスによる生活環境の変化の中、先が見えない時期だからこそ、自分がどう生きていくかを思案する良い機会だと感じている。
最近「丁寧に生きてみたら」と示唆してくれた2つのメッセージで、物事の見方が変わった。
「京都の不思議の宿の物語」というNHK BS番組で、世界の要人をも魅了する老舗旅館『俵屋』の丁重なおもてなしの裏方を見た。料理やしつらえも素晴らしいのだが、最も心打たれたのが庭師と男衆(おとこしゅう)の心遣いとその丁寧な働きぶりだ。
庭師は、自然と人間との間に境なく一体であるという『庭屋一如(ていおくいちにょ)』の精神で、自然の摂理を崩さないように作庭をする。ただ高いビルに囲まれた宿は上からしか日が当たらないので、陰樹(いんじゅ)と呼ばれるシダやコケなどにも光が当たるように、陽樹の美しい葉が茂るモミジの枝にもハサミを入れる。「自己主張しても限界がある」「おてんとうさんの光を平等に分け与えて、シダもコケも輝く」と庭師は言う。
庭の水やりや掃除を専門とする男衆は、繊細なシダやコケを傷つけないようにする為に、ほうきを使わずに手で落ち葉やゴミを丁寧に拾う。葉についたチリさえ指ですくい取る。「元気な草木を見ると癒やされるので、その為の作業です」と男衆は笑みを浮かべながら語る。
俵屋は300年以上の歴史を持つ京都で最も古い旅館だ。幕末に焼け落ちて建て直されたが、廊下や階段は当時使用されていた木材をそのまま使っている。その廊下や階段を男衆が毎日3時間かけて磨き上げる。その姿は単なる掃除ではなく美しい所作を見ているようだ。そして磨かれた木材は渋い光沢を放っている。
偶然なのだろうか、時を同じくして「丁寧(ていねい)」という文字の意味を、東京在住の友人が教えてくれた。
『丁』は神様にお供えする台「示」を表している。『寧』の字は、宀+心+皿+丁に分けられる。屋根(宀)の下で食べ物を皿にのせお供えする様子。そして雨露しのげる場所で神様に大切な食べ物をお供えできる安堵感。因みに、丁(台)の前で申す(祈る)が『神』となる。
「丁寧な仕事ぶりや生き方を感じ取れるとホッとするね」「日本の社会が置き去りにした丁寧さ。取り戻したいね」規制のある東京でのどやかに生活している彼女らしいメッセージだ。
そんなわけで、”丁寧” という言葉を文頭につけると、厳かな気持ちで取り組める気がする。丁寧に掃除する。丁寧に料理する。丁寧に食べる。丁寧に植物の世話をする。丁寧に新型コロナウイルス関連の情報を精査する。オッと、もう一つ、丁寧にPocorinの記事を書く。・・・まだまだありそうだ。
丁寧に生きていると、人にも物にも感謝の心が生まれてくる。今まで、糖質制限に重要な「低糖+高たんぱく質+高脂質」ばかりを気にして、食べられるありがたみ、家畜などの命を頂くことを忘れ、無頓着に食べていた。「よく噛むこと」も忘れがちだった。
そういえば、1年前「45年以上も飲んできたコーヒーとまじめに向き合おう」と目覚め、焙煎師やコーヒー愛好家のアドバイスを頂き、主なる書籍も読みあさった。生産者、焙煎師などの苦労も知った。豆の種類や焙煎度、挽いた豆のサイズ、水の種類、お湯の温度、抽出方法、抽出器具など、いろいろと試して、自分でも驚くほど美味しくコーヒーを煎れられるようになった。
これから「丁寧に生きること」で、どんな素敵な驚きがあるのか楽しみだ。
【写真】記事の内容とは直接関係ありません。
1枚目:皇大神宮(伊勢神宮内宮)別宮、瀧原宮
2枚目:豊受大神宮(伊勢神宮外宮)
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